ぼっちサークル『Re.set』の活動履歴
今、緊急事態宣言で日曜礼拝ができない代わりに、教会の教区で当番制で毎週日曜日にようつべで説教をやってるからみてけれ、ってーんで友人の暗黒司祭D氏から言われたんで、久しぶりにヤツの説教を聞き、ふと思い出したので、書いとこ。
冒険したいお年頃だったりりあたんが、親に「東南アジア1ヶ月の旅にいってくるわ!」と偽り、中東へ飛んだのはもう十年以上前のこと……。
エルサレムに辿り着くまでの、山あり谷ありぼったくりは、思い出すと×××人に×××でも撒いとけ! と、国際社会の火種になりそうなことばっかりになってしまうので置いといて。
ここに行きたかった百個ぐらいある理由のうちの1つが、『ヴィアドロローサ(苦難の道)』という毎週金曜日の午後3 時頃、フランシスコ会というキリスト教会派が主催する礼拝に参加したいというもの。
賛美歌を歌いながら十字架を担ぎ、イエス受難の道――イエスが処刑を言い渡されたという場所から十字架を背負って歩かされた道を辿り、最後は磔にされたゴルゴダの丘(現在は聖墳墓教会)まで――を練り歩く大名行列。
信仰心など砂粒すらも無いが、TBSだかNHKだかの世界遺産番組で見たそれに、脳天直撃セガサターンな衝撃を受け、普段はヤマザキ春のパン祭のシールですら集めても店に持っていって交換するのがダルくて皿を貰ったことがないりりあたんが、奮起して本当に現地に赴いたのである。
この礼拝(ミサ)の出発点は、イエスが裁判を受けた場所――現在は小学校の校庭。
巡礼者・観光客その他諸々の集うこの礼拝は、大規模すぎて肉声だけでは人々に声が届かない。主祭はマイクを握り、お付の者はでっかいスピーカーを抱えていた。
「これからイエス受難の道 ヴィアドロローサの―――」と言っているか言ってないかはわからないが、このキリスト教のミサが始まったと同時に爆音を響かせるのが、隣のイスラム教のモスクから放出されるアザーンである。
知らない人のためにちょっくら解説しておくと、アザーンというのはイスラム教のお祈りの時間をお知らせするもの。教会の鐘の位置づけと考えてくれてOKだが、金属を打ち付けるカランカランではなく、おっさんのダミ声、場末のスナックのカラオケである。しかも、中東の街中は犬も歩きたくても棒がだらけで歩けないほどモスクが落ちており、時間になれば一斉にスピーカーからアザーンという名の『ムサッ! オヤジだらけのカラオケ大会』の爆音が放流されるのだ。
アザーンは1日5回、垂れ流される。その時間は緯度・経度によって変わり、365日、毎日微妙に時間が違う。基本は日の出前・日の出後、正午すぎ・夕方・日落ち後、夜。
正午過ぎの誤差を考慮しても、午後3時にアザーンは鳴らない。
その証拠に、隣のモスク以外はアザーンを流していない……。
聞くところによると、毎回、この礼拝が始まったと同時にアザーンが始まり、これまた通常時に比べると異様に長く、音量もなんてサイコーな日だー! とモヒカンでヒャッハーなマッドマックス状態。
嫌がらせしようとしているのか、はたまた昼寝していて正午すぎのアザーンを忘れてしまったのかは定かでは無いが、額に青十字を浮かべてオッサンが声を振り絞って「アラーの他に神はなし」とヘッドバンギングしながら叫び、「主イエスを讃えます アーメン」と十字架にダイブして祈る人々に被せる――。
まさに唯一神の名にかけた、仁義なき勢力争いの火ぶたが切って落とされているのだ。今週も来週も再来週もずっと!
爆音のアザーンに数の力でぶつかる賛美歌。これが意外にマッチ……するはずもない。調和を生み出す気は一切なく、ひたすら水と油のように反発。その場にいるだけで生乾きの洗濯物を身に着けたような気分にさせてくれる。
ミナレット(モスクにある高い塔)から耶蘇教徒相手に、マイクを握り締め対抗するアザーン当番のオヤジ。真下には十字架を武器に集う修道服のニーチャンと巡礼者のご一行がわらわらと集い、そんな光景をハナにもかけず、黒帽子にもみ上げ姿のユダヤ教徒が嘆きの壁に急ぎ、モサドの姉ちゃんは銃を担いで街を闊歩する……。
自分の血液型が父親と母親からはありえない型だと知った時のような苦さを味わいながら、礼拝はクライマックスのイエス受難の道の最終地点、イエスが処刑されたゴルゴダの丘――聖墳墓教会の中へ。
この聖墳墓教会はキリスト教のいくつかの宗派が共同管理している。教会内部は各宗派ごとに明確なナワバリがあり、ここからここまではカトリックの領域・ここからは東方正教会……など、一見しただけではわからない境界線が引かれているのだ。
(もっというと、聖墳墓教会の鍵を管理するのは、公平性を期すためにイスラム教徒。稀に政府に抗議するために鍵を渡さないとか、ストライキちっくなことも起こる。
イスラム教(アラブ人)が政府に反発して鍵を渡すことを拒否→キリスト教徒・教会が開けられないので憤慨→キリスト教徒も怒りの矛先はイスラエル政府(ユダヤ人)へ・・・・・・と、風が吹けば米騒動な構造になっている)
当然、このヴィアドロローサの礼拝中、司祭・修道士は、フランシスコ会派のナワバリから足の小指の爪ですら、はみ出ることは許されない。
脇を固めているのは信心深き他の会派の修道士ではあるのだが、彼らは礼拝に参加しているのでは無く、領域侵犯しないように監視をしているのだ。
ざっくりと言うと、フランシスコ会の祭壇の前だけがその会派の使用許可領域。祭壇の横幅がそのまま境界線になるのだが、足はもちろん、肩すらも出ることはアウトである。
もし、領域に侵入しようものなら、一発触発。日本のようにスイートに警告を発したりせず、即座にほうきとはたきを武器に、抗争が勃発するのだ。(実際によくニュースになっている)
同じ神を信ずるものたちなのに、絶対に相容れない信条。
見えない境界線を互いに死守することでしか保たれない秩序。
見よう見まねで十字架などを胸の前で切ってみたりしながら、『世界って平和になることは絶対にないんだなぁ』『できないから隣人を愛せよって2000年変わらない説教し続けるんだなぁ』と世の真理に辿り着くまでの約9000キロの道のりであった……。
の
だが。
近年、薄異本をつくるようになってから
「わざわざエルサレムまで行かなくとも、本町から中央線に乗ってニュートラムに乗り換えればわかることだったのでは?」
と、気がつい……おっと、これ以上はバルカン半島。
まあまあ、こんなことを思い出させてくれた、りりあたんの小説に良く出てくるモブのモデルに勝手にしている暗黒司祭D氏の、ありがたい説教でもお聞き頂き、この場はお茶を濁させて頂きます。
んじゃまた!
冒険したいお年頃だったりりあたんが、親に「東南アジア1ヶ月の旅にいってくるわ!」と偽り、中東へ飛んだのはもう十年以上前のこと……。
エルサレムに辿り着くまでの、山あり谷ありぼったくりは、思い出すと×××人に×××でも撒いとけ! と、国際社会の火種になりそうなことばっかりになってしまうので置いといて。
ここに行きたかった百個ぐらいある理由のうちの1つが、『ヴィアドロローサ(苦難の道)』という毎週金曜日の午後3 時頃、フランシスコ会というキリスト教会派が主催する礼拝に参加したいというもの。
賛美歌を歌いながら十字架を担ぎ、イエス受難の道――イエスが処刑を言い渡されたという場所から十字架を背負って歩かされた道を辿り、最後は磔にされたゴルゴダの丘(現在は聖墳墓教会)まで――を練り歩く大名行列。
信仰心など砂粒すらも無いが、TBSだかNHKだかの世界遺産番組で見たそれに、脳天直撃セガサターンな衝撃を受け、普段はヤマザキ春のパン祭のシールですら集めても店に持っていって交換するのがダルくて皿を貰ったことがないりりあたんが、奮起して本当に現地に赴いたのである。
この礼拝(ミサ)の出発点は、イエスが裁判を受けた場所――現在は小学校の校庭。
巡礼者・観光客その他諸々の集うこの礼拝は、大規模すぎて肉声だけでは人々に声が届かない。主祭はマイクを握り、お付の者はでっかいスピーカーを抱えていた。
「これからイエス受難の道 ヴィアドロローサの―――」と言っているか言ってないかはわからないが、このキリスト教のミサが始まったと同時に爆音を響かせるのが、隣のイスラム教のモスクから放出されるアザーンである。
知らない人のためにちょっくら解説しておくと、アザーンというのはイスラム教のお祈りの時間をお知らせするもの。教会の鐘の位置づけと考えてくれてOKだが、金属を打ち付けるカランカランではなく、おっさんのダミ声、場末のスナックのカラオケである。しかも、中東の街中は犬も歩きたくても棒がだらけで歩けないほどモスクが落ちており、時間になれば一斉にスピーカーからアザーンという名の『ムサッ! オヤジだらけのカラオケ大会』の爆音が放流されるのだ。
アザーンは1日5回、垂れ流される。その時間は緯度・経度によって変わり、365日、毎日微妙に時間が違う。基本は日の出前・日の出後、正午すぎ・夕方・日落ち後、夜。
正午過ぎの誤差を考慮しても、午後3時にアザーンは鳴らない。
その証拠に、隣のモスク以外はアザーンを流していない……。
聞くところによると、毎回、この礼拝が始まったと同時にアザーンが始まり、これまた通常時に比べると異様に長く、音量もなんてサイコーな日だー! とモヒカンでヒャッハーなマッドマックス状態。
嫌がらせしようとしているのか、はたまた昼寝していて正午すぎのアザーンを忘れてしまったのかは定かでは無いが、額に青十字を浮かべてオッサンが声を振り絞って「アラーの他に神はなし」とヘッドバンギングしながら叫び、「主イエスを讃えます アーメン」と十字架にダイブして祈る人々に被せる――。
まさに唯一神の名にかけた、仁義なき勢力争いの火ぶたが切って落とされているのだ。今週も来週も再来週もずっと!
爆音のアザーンに数の力でぶつかる賛美歌。これが意外にマッチ……するはずもない。調和を生み出す気は一切なく、ひたすら水と油のように反発。その場にいるだけで生乾きの洗濯物を身に着けたような気分にさせてくれる。
ミナレット(モスクにある高い塔)から耶蘇教徒相手に、マイクを握り締め対抗するアザーン当番のオヤジ。真下には十字架を武器に集う修道服のニーチャンと巡礼者のご一行がわらわらと集い、そんな光景をハナにもかけず、黒帽子にもみ上げ姿のユダヤ教徒が嘆きの壁に急ぎ、モサドの姉ちゃんは銃を担いで街を闊歩する……。
自分の血液型が父親と母親からはありえない型だと知った時のような苦さを味わいながら、礼拝はクライマックスのイエス受難の道の最終地点、イエスが処刑されたゴルゴダの丘――聖墳墓教会の中へ。
この聖墳墓教会はキリスト教のいくつかの宗派が共同管理している。教会内部は各宗派ごとに明確なナワバリがあり、ここからここまではカトリックの領域・ここからは東方正教会……など、一見しただけではわからない境界線が引かれているのだ。
(もっというと、聖墳墓教会の鍵を管理するのは、公平性を期すためにイスラム教徒。稀に政府に抗議するために鍵を渡さないとか、ストライキちっくなことも起こる。
イスラム教(アラブ人)が政府に反発して鍵を渡すことを拒否→キリスト教徒・教会が開けられないので憤慨→キリスト教徒も怒りの矛先はイスラエル政府(ユダヤ人)へ・・・・・・と、風が吹けば米騒動な構造になっている)
当然、このヴィアドロローサの礼拝中、司祭・修道士は、フランシスコ会派のナワバリから足の小指の爪ですら、はみ出ることは許されない。
脇を固めているのは信心深き他の会派の修道士ではあるのだが、彼らは礼拝に参加しているのでは無く、領域侵犯しないように監視をしているのだ。
ざっくりと言うと、フランシスコ会の祭壇の前だけがその会派の使用許可領域。祭壇の横幅がそのまま境界線になるのだが、足はもちろん、肩すらも出ることはアウトである。
もし、領域に侵入しようものなら、一発触発。日本のようにスイートに警告を発したりせず、即座にほうきとはたきを武器に、抗争が勃発するのだ。(実際によくニュースになっている)
同じ神を信ずるものたちなのに、絶対に相容れない信条。
見えない境界線を互いに死守することでしか保たれない秩序。
見よう見まねで十字架などを胸の前で切ってみたりしながら、『世界って平和になることは絶対にないんだなぁ』『できないから隣人を愛せよって2000年変わらない説教し続けるんだなぁ』と世の真理に辿り着くまでの約9000キロの道のりであった……。
の
だが。
近年、薄異本をつくるようになってから
「わざわざエルサレムまで行かなくとも、本町から中央線に乗ってニュートラムに乗り換えればわかることだったのでは?」
と、気がつい……おっと、これ以上はバルカン半島。
まあまあ、こんなことを思い出させてくれた、りりあたんの小説に良く出てくるモブのモデルに勝手にしている暗黒司祭D氏の、ありがたい説教でもお聞き頂き、この場はお茶を濁させて頂きます。
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